結婚するまで
36歳で妊娠し37歳になる直前で長男を、39歳で長女を出産したママです。
学生時代はスイミングとバドミントンに明け暮れ、社会人になってからは市民体育館のジムに通い、独身時代は腹筋が割れていた筋トレ大好き女子でした。
20歳まで門限が19時だった反動で、20代は遊び惚けて気が付けば29歳。彼氏との付き合いは9年。その9年も彼氏と体育館で筋トレデートをしていました。
「あぁ長い春」という周りの声は気になりませんでした。父から「いい加減、既成事実を作ってみては」とまで言われた時は驚きましたが、この先の人生を考えた時「結婚は?」「子どもは?」「この彼とは?」ジムで筋トレをしながらも考えあぐねたものです。
それでも、とあるきっかけで結婚が決まり、両家に挨拶に行くと「娘はやら~ん!」と父は言わず「そうかそうか、ついに決まったか」と安堵の空気が流れたものでした。
当初二人は予定していなかった披露宴等を行うことになり、3カ月の間に会場を押さえ、飛行機で親戚が営む貸衣装店へ行き衣装決め、周りには「できちゃった婚でもないのに、まるで電撃婚」と言われてしまうほど、慌ただしいものでした。
それでも情緒のある日本料理屋さんでのレストランウエディングは、両家の高齢の伯父伯母たちから「冥途の土産だね」と喜んでもらえて「やって良かった」と心から思いました。
結婚したら子は授かる?
私は夏生まれ、同級生の彼は早生まれ「俺も29歳になって結婚したい」というので彼の誕生日の翌日に入籍。結婚したら子どもは自然にできるものと思っていた夫婦誕生。
筋トレ生活は続いていました。腹筋も維持。健康でいれば子どもはできると思っていたおとぼけ夫婦。
結婚1年で初産を目標にしていましたがならず。「あれ、できないね?」という年末を夫婦で迎えました。トイレをピカピカにしたことは今では良い思い出です。
2年目、お友達の結婚ラッシュでお手伝いに奔走、気が付けば授からず。「幸せのおすそ分け」を期待していた自分に他力本願ではいけないと反省したものです。
3年目、単身赴任決定(2年間)「1人で筋トレに励むね・・・」妻の往復交通費は支給されず「物理的に無理。だけど戻ったらきっと、きっと今度こそ」と耐え忍んだ2年。
5年目、「お帰りなさい!今年こそ」6年目に差し掛かった頃、妊娠判明。安定期に入る少し前でしたが早く安心させたい、喜ばせたい一心で親たちに報告。
6年目、「心拍が確認できません」流産して落ち込む夫婦。もちろん両家にも報告。この頃から落ち込み過ぎて筋トレが止まりました。
「何がいけなかったのか」「食事か、まさか筋トレか?」「相談しに行こう!」
主治医から流産への経緯や今後の妊娠について説明を受け、衝撃を受けた私。
「私たち、授かり方を知らなかった?!間違っていた?!」帰宅後、夫に「かくかくしかじか(詳細)」を説明。数秒の沈黙。
「カレンダーを出すのだ!」と夫。「基礎体温計を買ってくるね」と私。
「これぞ妊活、これぞ家族計画」に至った経緯です。
結婚7年目の妊娠
「流産の処置後の子宮や卵管はきれい」と聞いたことがあります。医師から聞いたことではないので医学的根拠は分かりませんが「狙うならきれいなうちに」が夫婦の暗黙の了解。流産から立ち直ってからは「逆算して春生まれを狙ってみる?」という会話までしていました。
予定日は4月初旬「計画通りだね」と夫婦でニンマリ。安定期に入ってから両家にも報告。ところが私はすでに36歳。高齢出産に臨む覚悟が必要でした。
それもそのはず、医学の進歩で高齢出産でも元気な赤ちゃんは生まれています。私たち夫婦も実績のある小児科と連携のある産院を選びました。産めたは良いが、その先は?赤ちゃんが0歳、私は37歳の年。我が子の成人式の頃に私は57歳。頭の中でよぎった「我が子が反抗期の頃、私は更年期?!」心身ともに健康でいなくては。
話が反れてしまいそうですが、そんな様々な思惑と共に進んだ妊婦ライフだった私。健康維持のためにも筋トレを続けたかったのですが、安定期に入っても続いた悪阻によって打ち砕かれてしまったのです。
「3日休んだら、取り戻すのに3週間かかる」と学生時代に先輩から言われた筋トレを妊婦ライフが始まって3カ月以上出来なくなってしまった私。気が付けば妊娠後期でおなかが前に出っ張り、上からおへそが見えなくなっていました。私の割れていた腹筋は影も形もなくなっていました。保湿剤を塗っても間に合わず、皮膚はひび割れていたほどです。
ですが、幸いおなかの中の赤ちゃんは、私の心配をよそにすくすく大きめに成長していました。
妊婦健診のたびに「この子のために健康でいなくては」と再認識を繰り返し、腹筋こそできなくても軽いスクワットや赤ちゃんを抱き続けても疲れないために腕力を鍛えておこうとペットボトルを鉄アレイ代わりにして、両腕の筋トレは続けました「ウップ」と言いながらも。
スポーツ選手の場合とまとめ
気持ちの中での紆余曲折があった妊婦ライフも、4kg近い体重で55cmのビッグベイビーが誕生したことで一件落着しました。体型はかなり崩れてしまった私ですが、内なる筋力は残っていました。
お祝いに来てくれる友人たちにこぞって「大きいね、重いね」と言われる我が子ですが、生まれたときからこの重さで、少しずつ増えるので気になりませんでした。
夜たっぷり眠ってくれるようになった頃、テレビで海外のバスケット選手が妊娠に気が付かないまま臨月を迎えた話が取り上げられていたのを観ました。
彼女の場合は毎日の筋トレはもちろん、激しいバスケットの練習に明け暮れていました。悪阻も無く、胎児の異常も無く(気付かず)、生理が来ないけれど遅れているだけ、ちょっと最近太ってきたかなと思っていただけだったそうです。
彼女は無事に出産を迎えましたが、医師の話によると「妊娠前から続けてきたスポーツや運動であれば、妊娠後も続けても良い」とのこと。「ただし、痛みや出血、転ぶ、落ちるようなハプニングがあれば、必ず受診して欲しい。そもそも月経を迎えた女性なら、3カ月と遅れるようなら婦人科に来てください」という注意喚起もありました。
そろそろ娘も年頃なので、私の経験談も踏まえ教えてあげようと思います。
すべての女性たちが健康でありますように。
この記事の監修者
坂田陽子
経歴
葛飾赤十字産院、愛育病院、聖母病院でNICU(新生児集中治療室)や産婦人科に勤務し、延べ3000人以上の母児のケアを行う。
その後、都内の産婦人科病院や広尾にある愛育クリニックインターナショナルユニットで師長を経験。クリニックから委託され、大使館をはじめ、たくさんのご自宅に伺い授乳相談・育児相談を行う。
日本赤十字武蔵野短期大学(現 日本赤十字看護大学)
母子保健研修センター助産師学校 卒業
資格
助産師/看護師/国際認定ラクテーションコンサルタント/ピーターウォーカー認定ベビーマッサージ講師/オーソモレキュラー(分子整合栄養学)栄養カウンセラー