みなさん、こんにちは!
今日は陣痛について、自身の体験を踏まえてお話させていただきます。このような体験談は、普通は役に立つ良いお話が多いと思います。
けれども、敢えてネガティブ例をお話させてください。そして、反面教師としていただければ・・・(笑)と思っています。それではさっそくお付き合いください。
私の体験 ~本当に何も知らない妊婦~
私が初めての出産を迎えたのは約20年前。今とは全然違う時代です。
当時、産休や育休を使う人はあまりいなかったため、産後すぐに復職できる環境にある妊婦さんだけが、産休を使うという時代でした(古っ)
当時の私は、入社して約4年、残業が多い職種だったので、プライベートがほぼなく、自宅と会社を行き来する日々でした。
ところが、ひょんなご縁で結婚し、すぐに妊娠が判明し、人生が急展開します。
もともと自分の周りに小さな赤ちゃんや直近で出産をした人はおらず、出産に関して無知でした。私は男のきょうだいばかりで、そんな話もしようがありません。
「だいたい10カ月ぐらい赤ちゃんはおなかにいる。陣痛はどんな痛み?すんごく痛いけれど耐えれば赤ちゃんは生まれる」ぐらいの知識しかありませんでした(ひどすぎる知識です)。
さらに、結婚で環境が変わったことと、減らない仕事環境、つわりに苦しみ・・・
出産に関する知識を勉強しようという余裕がありませんでした。
母親学級は当時もありましたよ!妊娠中から出産、産後の赤ちゃんのお世話に関して、計4日間受講した記録が残っています。
でも、何をしていたんでしょうか、私は。
知り合いに偶然会って、盛り上がったことは記憶していますが、出産・陣痛に関する知識はこの機会でも増えませんでした。
そして、そのまま産休・出産へと続いていくのでありました(笑)
私の体験 ~これって陣痛?そうだったらすぐに生まれるよね?~
普通は、出産という大きなイベントを迎えるにあたって、ある程度、予測するために準備や勉強をするものですよね。ところが、当時の私はポジティブなのか、何も考えないバカモノなのか、ホント何も考えていませんでした。なんとかなるんじゃないのかなぁ!と。(どこまで適当なのだっ!)
ありがたいことに、夫は出産や育児に関して勉強熱心で、妊娠5カ月から育児書やおなかの赤ちゃんに語りかける機器まで用意していました。そんなありがたい状況で、ますます私自身でしっかりしようという意識は薄れていきました・・・
39週目に入ったころ、おなかがつるような、張るような感じがしました。おっ!陣痛きたかも!?と経過を見ていると、陣痛らしき間隔が10分になっているじゃないですか!すぐに病院へ連絡、相談し、念のため、病院へ行くことになりました。
(さすがにこの頃には、10分間隔の陣痛は病院に相談することを知っていました 笑)
病院に到着し、検査したところ、このくらいの陣痛では弱いし、間隔も不安定だから、もう少し家で様子を見てくださいと帰されました。「えーっ!私としては結構痛いのに・・・泣」という心境でした。
家にいても鈍痛で体がこわばり、落ち着きません。夜も痛みで眠れずに苦しみました。
私の体験 ~えっ!うそ!!この痛み、いつまで続くの?~
ほとんど寝られずに痛みと向き合い、翌日また病院に行きました。
「うーん、ちょっと陣痛が弱いな。促進剤を使いましょう。」との主治医の判断から、陣痛促進剤が点滴されました。
隣の陣痛室からは、人の声ではないようなうめき声がうっすら聞こえてきて、なんだか不安になりました。自分もまさかそうなるとも知らずに(笑)
陣痛促進剤を使っても、陣痛はなかなか強くならず、別の薬も追加されたようでした。痛みと不安の状態が続きます。「痛い」と声に出して話せるうちは、まだ陣痛が弱かったようです。
おなかだけでなく、体全体に響く強い痛みが続くと、人間って声が出なくなるんですね。そのうち、何も話せなくなりました・・・
そして、長時間かけても子宮口が全開大に開かないようで、子宮口を柔らかくする薬も注射しました。
痛みと疲れで半狂乱の状態でした。もう昼なのか夜なのか、そんなことは関係ありません。
私の体験 ~驚愕の提案~
さすがに子宮口が開く時間がかかりすぎていたのでしょう。きっと凄い形相の私だったと思います。
主治医が「ここまできたら、開けちゃおうか」といってきたのです。
どういうことか理解できずにいると・・・なんと、手で子宮口を開ける(※)というのです!!!
痛みと疲れで気絶寸前の状態の私に、驚愕の提案!!
恐怖と壮絶な痛みで暴言を吐きまくりながら、のたうちまわったことを記憶しています。阿鼻叫喚の世界です(笑)
※頸管裂傷の発生や裂傷の延長などの合併症が起こる可能性があるため、特殊な状況以外では行われることはありません。
その後、とうとう分娩台に上がれる状態になり、私の感覚では、上がってからはあっという間!!30分もかからず、出産することができました。
それまでが長すぎたし、激痛の後だったのもあり、出産と会陰縫合は何一つ痛みを感じることなく終えました。
今になって思うこと
20年前の激闘は、初産だったから大変だったということもあるけれど、本当の理由は違うところにあると思っています。
無知。恐怖心。この2つが痛みを増幅し、体をこわばらせて出産の経過を遅らせていくという悪循環を招いたと思っています。
当時の私にそのことが理解できていたら、無駄に体力・気力を消耗せずにいたら・・・
もっと楽なお産ができていたのではないかなぁ、と思っています。
みなさんには、この話を反面教師にしていただきたいなぁ、そう思う今日この頃です。
この記事の監修者
坂田陽子
経歴
葛飾赤十字産院、愛育病院、聖母病院でNICU(新生児集中治療室)や産婦人科に勤務し、延べ3000人以上の母児のケアを行う。
その後、都内の産婦人科病院や広尾にある愛育クリニックインターナショナルユニットで師長を経験。クリニックから委託され、大使館をはじめ、たくさんのご自宅に伺い授乳相談・育児相談を行う。
日本赤十字武蔵野短期大学(現 日本赤十字看護大学)
母子保健研修センター助産師学校 卒業
資格
助産師/看護師/国際認定ラクテーションコンサルタント/ピーターウォーカー認定ベビーマッサージ講師/オーソモレキュラー(分子整合栄養学)栄養カウンセラー